● B会長の徒然なるコラム
その3:「小指の想い出」
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唐突だが、島国日本人の特性として、自然や世の流れに逆らわないという、農耕民族として培われた従順さが有る。秀吉の刀狩り以来徳川270年の太平の世が、風土として「長い物には巻かれろ式の日本人」を形成し、他国と違ってわが身の危機管理・安全確保は自らが行うのではなく、お上に従っていれば守って頂けるのが当然、というムラ社会の意識が根付いた。―そんな意識のまま隣ムラに出掛ける気楽さで海外へ行き事件に巻き込まれる、暢気ノンビリ日本人に「B」はウンザリする―
銃の所持については「危険な飛び道具を持たせる必要は認めない」と言うのが一般的な感情としてあり、結果として日本は世界で一番治安の良い国と云われる所以である。もっとも、最近の凶悪なテロや犯罪が多発する現状を見ると、うかうかとしていれない世相になって来たし、わが身を守ってくれるはずの警察官自体が怪しいほど信頼されなくなって来た。
―銃を持って自衛しようと言っている訳ではありません―

いつだったか、大阪の銀行へ猟銃を持って行員を人質にして立てこもり、遂に犯人は射殺されるという事件があり、世間を震撼させた。
前後するが、シージャック犯のライフルを持った青年が狙撃手に射殺されてデッキに崩れ落ちる場面や「金喜老事件」「あさま山荘事件」など等、いずれの大事件も銃を使った犯罪として、刻々テレビ映像がリアルタイムで流された。
猟銃を使った事件が起きる度に世論は激しく反応して、その所持は厳しくなり銃規制が強まったと言えるだろう。
「B」はそれで良しと思う。事件が起きたのは不幸な事だが、反面規制が強まれば強まるほど銃所持許可者はお上に『銃を所持するに値する人格者』として認められて来たのだから。(なかには、猟場や射場で徘徊する不穏・危険と思われる『間違った特権人格意識』を持った輩が居ないでもないが‥)
リアルタイムな映像と言えば、アメリカと日本を結んだ初の衛星回線で中継されたのはケネディ大統領が狙撃暗殺されるという衝撃的な映像だった。米ソによる核戦争の危機を回避させた大統領に世界中が喪に服した事件だったが、あれから現在に至るまで、米国では銃規制を強化しようという動きは鈍い。
 これらの事件の中継からも言える事は、二十世紀は映像・テレビの世紀だったと言う事だ。映像・テレビは居ながらにして目の前に「世界中の生々しい出来事」を展開し、歓喜感動、悲しみと怒りを伝えてくれた。

さて映像といえば映画である。件の銀行襲撃事件も後年「TATTOOあり」という題名で映画化され、最近では「あさま山荘事件」も映画化されたが、「TATTOOあり」では、宇崎竜童演じる主人公の倒錯した半生を鋭く切り取り、ラストシーンの母の無言の慟哭と効果的な挿入歌も相まって極めて印象的な映画であった。また相手役としての関根(高橋)恵子が魔性を秘めた薄幸の女を演じていて、これも印象的であった。
この映画もテレビでも過去に何度か放映されたが、主人公の優しさの裏側にある刹那的な狂気に尻込みするのか、或いは事件の重大性をおもんばかるのか近年再放送されていない。

「銃」を主題にした(「B」だけの思い込みだが)映画には「ボニーとクライド」がある。
日本では「俺たちに明日はない」という題名で公開された。主人公の男女二人は逃亡の末に初めて結ばれるのだが、二人の記事が載った新聞紙が風に飛ばされるシーンに、無数の銃弾を受ける最期を予感させられるものがあり、「B」は何度も映画館に足を運び画面に見入った。
「TATTOOあり」ではそのものズバリ刺青が、そしてボニーとクライドでも物語の進行上刺青が「男」を主張する重要な役割を果たした。
 そこで刺青の話である。
「B」は九州の炭鉱住宅街(炭住)で少年期を過ごしたが、炭坑では坑道に潜る採炭夫は、戦前までは強制労働の人夫や、気の荒い男たちが働く所だったらしい。
「B」の父は、戦後の混乱期に取り敢えず食えて住めるところがあればと、M炭鉱に就職して定年まで勤め上げた。後年、父が語ってくれた坑内での仕事は、常に死と向かい合うところで、必然殺気立つことも多かったという。父は当時55歳の定年で退職後、最晩年まで職業病の塵肺に苦しみ71歳で逝った。
 当時の炭住街にはエリア毎に共同浴場があって、毎日の風呂はそこに行く。その浴槽は広く深くて、子供だった「B」達は、飛び込みをやったり泳いだりしては、大人たちに叱られたものである。
大人の中には体全体に刺青を入れた人が結構いたが、湯上りの体に浮かぶ刺青は子供心に好奇心をそそられた。今振り返っても、あれは体に入れた「一生消せない芸術」だったと思う。
今でこそ刺青といえば、その筋や一部の愛好家のモノとなっているが、「B」は幼い頃から見慣れてきたせいか特別な違和感を抱かない。
 さて、時は流れて(それでも随分昔の話だが)、「B」はさる知人とハワイへ行った。その知人は片方の小指がなく、片腕に悪戯で彫ったささやかな刺青があった。
入国の際、彼は審査官にそれを咎められ、別室に連れて行かれて丸裸にされ、色々と尋問を受けた。小一時間拘束された後、「その筋の人物」という誤解が解けた知人に審査官は笑みを浮かべ、「よいご旅行を」と握手を求めて来たそうである。ようやく入国を認められ開放された彼はしばらく不機嫌であった。
 米国は日本人に対して小指のない者や刺青を彫った人物の入国には極めて神経質である。やくざマフィアが絡んだ犯罪がその理由だろう。刺青=YAKUZAという図式か。
だが、当の審査官や街中では、片腕に幼稚な図柄の刺青をしているのをよく見かけるので、かの国ではごく一般的な風習なのだろう。
 「B」にはもう一人、小指のない知人がいる。詳しく事情を聞いたことはないが、若気の至りだったと彼は多くを語らない。もちろん現在は真っ当な生活を送っている。
「B」の子供が幼い頃、その知人が我が家へ遊びに来た事がある。「B」の子供は彼の小指がないのに気付いて訳を聞いた。
「おじちゃん、どうして指がないの?」
「これ?」と小指を子供の目の前に突き出し、
「ニワトリに餌をやってたら、くっつかれちゃった(食べられちゃった)の」
後日、子供を遊園地に連れて行った時、ミニ動物園で遊ばせたが、子供の動作がどうにもぎごちない。様子を見ると、チャボに餌を与える際に、「手の小指」を折ってしっかりと隠していた。