● ベレストオヤジアニキの公式参戦記
第9弾 公式参戦決意
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「SS−NET」の皆さんと射撃論を交わしながら、練習面7割・公式面3割で練習を続けて行き結果、練習面で「8割シューター」へ復帰出来たのはもちろんですが、公式面の45度切れるクレーにも何とか絡んで行けるようになって行きました。
しばらくは「SS−NET」の皆さんと「楽しく・悩み・嬉しく・きつく、辛い」射撃生活を楽しんでおりました。
そしてある日、区クレー射撃連盟会長から「最近、一生懸命練習しているそうじゃないか。」と声を掛けて頂きました。また、「今度の都民大会出場の予選会、がんばるように。」とも声を掛けて頂きました。
区クレー射撃大会「都民大会出場の予選会」へ向け練習を続けて行き、トラップ射撃に転向し3年余、やっと目標にしてきた4人枠に入り「都民大会出場」の権利を所得できました。
「都民大会」もある意味公式なのかもしれないですが、区クレー射撃連盟団体戦ですからここで取り上げている「公式」とは違うのでしょう。
「都民大会」は「区クレー射撃連盟団体戦」ですから当然、個人的に恥ずかしい成績を出したくないので自分なりに一所懸命練習し、大会に臨みました。
そして、いよいよ「都民大会」当日、成田射撃場6時に到着。時間があるので射撃場の雰囲気になれるため散歩して時間をつぶし、気合が入ってきました。
開会式には選手が大勢いて初めて、とても華やかで大きな大会に感じました。
「都民大会」は国体予選のカウント試合でもあり、聞いたことのある選手も大勢参加されていました。
区クレー射撃連盟の「看板」を背中に着けて大会に向けて準備し終わり組み合わせを見に行くと何故か、区クレー連盟の中最後の鳥となっていました。
大会も始まり先輩方は試合慣れしているのか、良い成績を出して行きます。そして初めての大舞台、自分の番がまわって来ました。完璧に舞い上がってしまい、1枚目から7枚目まで全部抜いてしまい「穴があったら入りたい。」と本当に思いました。終わってみれば成績は13点、後ろで応援してくださっている先輩方、区クレー射撃連盟会長に申し訳なく目も合わせられませんでした。
下を見ながら戻っていくと先輩方、区クレー射撃連盟会長たちがお腹を抱え大笑いしていました。
そして、区クレー射撃連盟会長から「これが、看板の重み・大会の重みなんだ。みんな最初はあがるんだ、いい経験になっただろう。この次は点数を気にしないで気楽に撃ちなさい。17点でいいから、がんばりなさい。」って怒られるどころか勇気つけられました。
次のゲームは21点出すことが出来ました。
初参加の「都民大会」で、とっても恥ずかしい思いをしましたが、とっても勉強にもなりました。
これを期に「管理人くろさん」から公式参戦を勧められましたが、1ヶ月後の今度は区クレー射撃大会「都民祭出場の予選会」があったので「都民祭出場の予選会が終わってから考えるよ。」って返事をしました。
しかし、区クレー射撃大会「都民祭出場の予選会」は不甲斐ない成績で予選を通ることは出来ませんでした。「都民大会」屈辱を晴らしたいと言う思いと反面、団体戦はもうしたくなくて済んだ、と思い「ホットした。」のが正直な気持ちでした。
「SS―NET」の皆さんと一生懸命練習をして、目標の1つは達成出来たのでこの結果には満足できました。
今年度の、区クレー射撃大会(大会出場予選が、かかっているもの。)は終わりましたので、公式参戦を決意しました。
区クレー射撃連盟会長に公式参戦の決意を伝え、東京都クレー射撃協会へ推薦状書いて頂けるようお願いをしました。
* 「おとうの公式参戦記」に日本クレー射撃協会へ入会手続きは書いてありますので省略させて頂きます。
違うところは、東京都から日本クレー射撃協会へ入会手続きは
1. 区クレー射撃連盟に所属していること。
2. 区クレー射撃連盟会長より東京都クレー射撃協会へ推薦状書いてもらうこと。
(推薦状書いてもらうというよりは、書式用紙に区クレー射撃連盟会長のはんを押すだけです。)
3.東京都クレー射撃協会から日本クレー射撃協会へ入会手続きしてもらう。
このぐらいですか、違うところは。
そして、「区クレー射撃連盟会長から東京都クレー射撃協会へ推薦状、東京都クレー射撃協会から日本クレー射撃協会へ入会手続き書類」用意出来たから取りに来るように連絡があり、日本クレー射撃協会入会書類を取りに伺ってきました。(公式参戦決意してから1ヶ月かかりました。)