● ベレストオヤジアニキの公式参戦記
第1弾:「へなちょこシューター」誕生
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東京在住の「ベレスト」と申します、これから公式参戦の予定ですが、とりあえずまずは私の射撃歴について書いてみたいと思います。

私は、小さいころから親父に射撃場(今、思えばスキート射撃)に連れて行ってもらっていたので、クレー射撃を特別上手くなりたいとか特別の強い意志も無く、ごく自然にクレー射撃を始めてみたいと思うようになりました。
しかし当時の私はまだ、クレー射撃がオリンピック競技であることは知っていましたが、公式試合とか、どんな大会があるとかは、まったく知りませんでした。
とは言っても30歳そこそこ、住宅ローン他あり結構金銭的にきつかったので、親父から「ニッコースキート銃」と「フジオート銃身後退式自動銃」(これも親父の銃砲店賞品)2丁の銃を譲り受け、銃を自分で購入することなく「へなちょこシューター」が誕生しました。

教習射撃はニッコー栃木射撃場でトラップ射撃(検定21枚当りました。当たり前だがストレートのみです。)にて行いましたが、射撃スタイルに関しても特別強い意志も無くスキート銃しか譲り受けられなかったこともあり、親父と一緒にスキート射撃を始めることにしました。
スキート射撃を始めてすぐに射撃の奥深さを知ることもなく、お皿を銃で砕く快感に吸い寄せられクレー射撃の魅力の虜になってしまいました。
しかし、クレー射撃を始めれば少しでも多く当てたいと思うのは当たり前のことで、親父から借りた「北 晴夫」著の「クレー射撃と狩猟」を何回も読んで狙い越しが如何だとか、結構考勉強した時期もあり上手くなりたいと思うようになって行きました。
しかし、当時の弾の値段はアクティブ500発で¥22,000円していましたので、そんなには撃てませんでした。
それでもほぼ、月一回のペースでスキート射撃の練習を行い何時しか、ノータイマーで最高23枚、アベレージ18枚ぐらい当てられるようになりました。
当時は親父以外に射撃仲間はいませんでしたが、1人でも射撃場に通うようになりクレー射撃対する真剣な気持ちもだんだん強くなってきました。

そして、それなりに当たるようになってきたとき、銃砲店の大会に出てみてはどうかと親父より進められましたが、本人はまったくその気はありませんでした。
しがし、クレー射撃を上手くなりたいと思っていたので、それなりに射撃場へ練習しに行きスコアーの良し悪しを自分で納得するだけで満足する「へなちょこシューター」でクレー射撃そのものをそれなりに楽しんでいる日々でした。

続く...