2016.11.28 PAGE 01

KURO'S PHOTO DIARY

KUROの写真日記



スポ君のバッテリーを充電しておきます。

とりあえずこのままで明日までおいておくつもりです。

で、今日はFTR君で出かけます。

では出発。

お天気今一つだよねえ。

向かっているのは行方方面です。

あれ、ここって昔は太田ストアだった場所だよね。なんか「ナフコ」ってホームセンターになっちゃってる。

霞ヶ浦大橋を渡って。

タワーの脇を通過。

JAの直売所の前は事故が多いんで注意。

そこそこ厚着で来たんですが、さすがに30分以上走っていると寒いです。

さて、用事も済んだんで帰るんですが、ここまま来た道で帰るのも面白くないんで、せっかくだから霞ヶ浦を一周するように帰りはエドサキー>美穂経由で帰ろうと思います。

で、とおりがかりのジャジャウマに寄ったらやってないや(笑)。

開いていればランチとも思ったんだけど、残念。

という事で麻生のミニストップで休憩です。

寒いんで温かいコーヒーです。

さて、昼ごはんはどうするかな。

外にでたら行方の乗り合いタクシーが。ああ、確かこの辺りは路線バスがないんだよね。免許を返納しちゃった高齢者には通院やお買い物にはこれぐらいしか足がないのは茨城県内の多くの地域の問題なんですねえ。なのに、高齢者=認知症=危険だから一律返納せよの人権無視の弾圧が強くなってきてる現在、実質的限界集落の地区では、一人暮らしのお年寄りの孤立化が大きな問題なんですね。まだまだ市街地である土浦でもすでに孤独死は私の町内でも発生しているのが現状ですしね。ま、少子化は昭和時代には自民党の政策でもあり国策でしたから、その結果の少子高齢化は予見されていたんですが、バブル崩壊以降の貧困層の増大が、なんだかんだ言いながらも未来永劫インフレは続き人口は増大する世界を前提としていた官僚組織の予想を超えて少子化を進めることになっちゃって、地方創生なんてスローガンだけの政策を口にしている間にも、どんどん地方は疲弊していくんですね。

さて、中心街にきたけれど店がほとんどないんだねえ。

で、十数年かぶりに寄ったのが「かすみ食堂」さん。

おー、昔と変わらない感じだねえ。

店内に入りました。

前回は何食べたかな。

これが麺類のメニュー。

こっちがご飯もの。

結局頼んだのはワンタンでした。

ワンタン麺とも思ったんだけど、このあとまだまだ走らなきゃならないんで、軽めにってことで。

昔ながらのワンタンです。

さて、昼ごはんも済んだんで移動開始です。

潮来市内です。ここで51号を右に曲がります。

51号、路面が荒れています。凍結時にはバイクはスリップしやすいです。

125号には入りました。

霞ヶ浦を時計回りに一周なんで、常に右側に霞ヶ浦が見えています。

浮島が見えてきました。昭和40年頃までは砂浜が広がっていて海水浴場ならぬ湖水浴場があったんですよ。それが霞ヶ浦の水門設置と閉鎖で一気に湖水の汚染が進んでしまい、護岸工事での砂浜の消失とも相まって、今や伝説になっちゃいました。しかしね、こういったことをググってもほとんど出てこないってのもなんか奇異な感じがするでしょ。実際、他にもこの近くにあった医療施設などの情報は一切ググっても出てきません。あれだけ多くの人々がここで泳いでた歴史は今や闇の向こうに消された状態になっています。

で、今はここは公園になっています。

関東ふれあいの道も通っています。

バイクを停めてちょっと休憩。

和田公園に降りてきました。

付近の配置はこんな感じ。上に見える砂浜ってのは、税金をどっさり投入して昔のように砂浜を復活させようって無駄工事をやった後で、そんな砂なんてどんどん流出しちゃって跡形もありません(笑)

振り返ると土手の上にFTR君が見えます。

以前は何回か弱者主催のキャンプがここで開催されてたんですが。

今はこの通り宝の持ち腐れもいいところの状態に。ま、お役人の思考ってわかるんで、ここで何かあっても面倒だし、とりあえず補助金で始めた事業特有の、それなりの形だけあって維持管理に業者を使って支払いの出来る状況だけ残ればいいやって感じなんだと思いますね。で、結果利用者はほとんどなくなりました(笑)

調理場も無人。

人っ子一人いない公園。

ここで一休み。

しかしまあ、だーれもいないねえ。

ではそろそろ出発しますね。

20分ほどいましたが、だーれも来ませんでした。

とことこ走っています。

125号線に出ました。