つくば駅前です。ごらんの通りに全域自転車駐車不可です。で、ちまちまとお座なりにわずかな定期駐輪場が作られています。この町は壮大な都市計画の実験として建設されました。それなのに自転車のフリーパークゾーンもまともに作れないってのが「お役人クヲリティ」って事ですねえ。さらに最近駅前の駐車場がどんどん閉鎖されているのに、駅の送迎での一時停車も取り締まりされるようになった駅付近。都市計画って日本では机上の空論なんですかねえ。

今日は日差しが強そうですね。

築地です。

銀座に向かってます。

10mおきに駐車違反の取り締まり員がいます。血税を無駄に使っている見本のようなものです。

鳩もひなたぼっこ。

ならんで停まってる車は例外無く運転手またはダミーの運転手が乗ったままアイドリング状態で停車しています。配達をしたり、お客様を迎えに行くにはこうするしか方法がありません、これが都内全域のいまの現状です。

仕事終了、疲れてますがてくてく歩いて帰ります。

てくてくとSHIPSの前を通過して行きます、ウインドウにはいかにもコンサバティブなコーディネートのマネキンが立っています。そのノーテンキなファッションを見ていると、人が良いけど鈍感な「団塊の世代」を象徴しているように思います。実際、60年代に一世を風靡した「アイビー」ファッションは、アメリカの保守白人層の若者のスタイルだって「大嘘」に基づいて展開した訳ですが、そこには50年代のアメリカというよりは、19世紀末のビクトリア朝の時代から大戦前までの時代のイギリスのファッションの影響の方が大きく感じられます。つまりは「家柄のよろしいけど没落しつつある貴族階級の次男あたりが、有名カレッジの休暇に、家族そろって(親父の愛人も内緒で)南仏のリゾートに行く(当然ヨットで)時のファッション」のイメージが、当時のアイビーファッションに隠された本当の狙いだったんですね。
当時の日本は、戦後の混乱も終息し高度成長期の入り口にあった時代。生活も次第に楽になって来たこともあったところに、皇太子ご成婚の影響による上流階級への憧れが次第に世間に広まっていた時期です。湘南に別荘が有る小金持のバカ息子達が、雑誌などにファッションリーダーに祭り上げられたのも同じように「裕福さへの憧れ」が根底にあったからなんですね。

裏通りのラーメン屋さん、ラヌイユって名前です。

串天はランチもやってるようです。

空いている都心環状線。

客待ちのタクシーものんびりしてる午後です。

やれ具合がいいなあ。

果物屋さん。

道を渡った反対側も果物屋さん。

このドア、なんか変。

これってドアノブだったんだ。

で、郵便受けのイラストが素敵。

お豆腐屋さんの前を通って新富町に向かいます。

誰もいない広場。

サラリーマンの町です。

整備工場、グリーンがいい感じ。

木版所って、はんこ屋さんか。

ここってたしか讃岐うどんのお店だったはずだけど、今やなんでもありの状況みたいですねえ。

路地を抜けて行きます。

ビルに囲まれた小さなカフェ。

敷地一杯に寄せてある原付車。

むかし良く寄った立ち飲み屋さんはまだやってるみたいですね。

開店準備中の屋台。

レトロな喫茶店には。

なんでもありのランチメニューが似合います。